アメリカ館
アメリカ館のよびものは、『月の石』ですが、展示館の構造も見所の一つでした。
空気によって支えられた展示館は、下から支えるか上から吊るすかというこれまでの建築の概念を根底から打破ったもので、建築自体が貴重な展示物でした。 標準地表面から約6メートル掘下げ、外周に高さ約7メートルのアスファルト・ブロック張りの土手を盛り上げ、その上を長径142メートル、短径83.5メートルの楕円形の膜で覆った『空気膜構造』は、宇宙工学の進歩が生み出したもので、ガラス繊維に塩化ビニールをコーティングしたものに、ワイヤーロープで補強を加えることで、屋根がはためくのを防ぎました。 この膜とワイヤーロープの屋根は総重量が60トン(1平方メートルあたり5.9キログラム)の軽さで、主送風機4台と非常用発電機付補助送風機2台で、内部から空気圧を加えて浮き上がらせており、展示館内部の気圧を保ち、積雪18センチメートルにも耐える強度となっていました。 内部の空気圧は、人の出入りや外気圧の変化など、内外の微妙な気圧バランスによって変化するため、内外気圧の差によって自動的に開閉する屋根面のダンパー、扉の開閉状況がわかる開閉表示盤、内外圧が下がると停止中のモーターが自動的に動いて気圧を高める内気圧感知装置、の三つの装置で空気圧が自動的に調整されていました。 内部展示館は、月面のクレーターのようなくぼみの中に、2階建てのデッキを設けて展示スペースとし、さらにその下に地下室を設け、管理スペースと設備機械室を収めていました。 また、屋根の膜は、日中は自然光線の18%から21%を通したため、展示場の照度は4,000ルクスから5,000ルクスもあり、夜はリングコートの内側に設けられた照明が膜面を光らせるよう設計され、内部には影のない不思議な空間を作るとともに、外部にもほのかな蛍光を発するという効果をあげていました。 また内壁面にはミラーシートが使われ、カラフルな展示物の反射効果を高めました。 こうした構造は、どんな広さ、形の建築にも大スパンの空間が得られるなど、応用できるため、新しい建築の可能性を示唆するものとして注目されました。
展示場は上下2階のデッキに分かれ、上層部に、アメリカの現代社会の組織と構造や生活を紹介した「10人の写真家展」、メトロポリタン美術館が初めて海外への出展を許可した作品による「アメリカ絵画展」、釣り具、ゴルフ用品、サーフボードなどのほか、ニューヨークの『野球の殿堂』の協力で、初めて貸出された名野球選手ベーブ・ルースの愛用品を展示した「スポーツ展」、下層部には、「宇宙開発展」、写真によってアメリカの建築様式を紹介した「建築展」、インディアンやエスキモーに関する装飾品や民芸品、19世紀の開拓者たちが作った品物などアメリカの特殊な文化遺産を展示した「民芸展」、24人のアーチストが制作した作品を展示した「ニューアート展」と7つの部門からなる展示が行われていました。
アメリカ館の呼びもの展示で最大のスペースを占めていました。 『アポロ計画』(宇宙開発計画)の展示が中心で、『アポロ8号』の司令船の実物展示をはじめ、1969年人類がはじめて月面着陸を決行した『静かの海』の着陸地点模型、月着陸船の実物、第1回着陸の際に宇宙飛行士が月面に残してきたものと同じ機械装置、『月の石』などが展示されていました。 防護装具や道具類、1人乗りの『フリーダム7』『マーキュリーカプセル』、2人乗りの『ジェミニ12号』なども観客の注目を集めました。
以上の7部門の展示のほかに、アメリカ館が8番目の展示として力をいれていたのは、56人のホストとホステスでした。いわば『生きたアメリカ人の展示』で男女28人ずつのホストとホステスは、いずれも日本に深い関心を持ち、日本語にも通じていました。 年齢は21歳から30歳までで、万国博開会前の2週間、日本人の家庭に分宿して日本人の生活に直接触れ、本番に備えたほどでした。
入館を待つ観客の行列のために、3人のフォーク・グループ、リング・シャウターズが、展示館の正面入口前で、会期中の毎日4回、フォークソングを演奏し、観客を楽しませました。