インド館
インド
人類の進歩と調和へのインドの貢献
長円錐形(長軸約 45メートル、短軸約 38メートル)の先を切り落としたような展示館と、その北側にレストラン、事務室などを納めた管理棟があった。展示館の南面には、二つの半円形に突き出た部分があり、その上から人工滝が流れ落ち、工業化に努力しているインドのダムが表現された。この滝には夜は照明があてられた。滝に向かって右手には、土造や石造のインドの農村の壁をモチーフに、入り組んだ壁をあしらった 3 層のテラスが階段でつながれていた。このテラスは赤茶色をしたインド産のサンドストーンで舗装されていた。入口は地上から4 メートル50 のぼったところにあった。
展示館は、ジャスバール・サチデブ教授の設計で、一般募集の入選作であった。地上 5 メートルまでが鉄筋コンクリート架構で、その上に鉄骨造の外壁を兼ねた白色の屋根がのせられていた。屋根にはアクリライトぶきの天窓があり、自然光線が照明に取入れられた。建物は 3 階建てで、高さは 25 メートルであった。
管理棟は 2 階建て、10 メートルの高さで、1 階には事務室、空調室、電気室、売店、商談室、2 階には円形のレストラン、ラウンジ、調理室などがあった。
展示館の入口を入った観客は、エスカレーターで 3階の展示場に導かれ、ほぼ円形の 3 階展示場からは、らせん式のスロープで 2 階、1 階へと降りるようになっていた。2 階の展示場は中央に長円形の大きな穴があって、1 階が見下ろせた。また、東北に向けて円形の特別展示室が突き出ていた。1 階は西南部分が劇場(150 席)で、また、中央部には 3 階をささえる円柱があった。柱のまわりには円形の池を巡らしていて、池の上をらせん形のスロープで降りてくるようになっていた。ほかに 1 階の外周部には空調室、機械室などが付属していた。
劇場と展示場の内装は、床が木製フローリングの上にカーペット敷き、壁がコンクリート化粧、吸音板張りで、天井がコンクリート化粧、レストランの内装は、床がカーペット敷き、壁はモルタル塗り、天井はプラスタボードであった。
古代文明の発祥地であるインドの貴重な文化遺産を背景に民主主義を育て、生活水準の向上を図るとともに、ダム建設による工業化の促進など、近代化につとめる古くて新しい姿が展示された。
観客はまず 3 階の「インド―精神性と科学の国」の展示コーナーに案内された。ここではスピーカーで、インドの古代文明、民主主義の過去と現在が説明された。インドは日本を含むアジア諸国と、経済開発、科学と技術開発の分野で相互に寄与し合い、とくに日本とは、共存に役立つ相互理解に努めている国であること、また科学は自然の動きに対する洞察力を与えてくれるのに対し、技術は自然を制御し操作する道具を開発、完成するにすぎないことが、この導入部で静かに語られた。
次が「色彩と手工業技術の国」の展示で、手織りの布や麦わらの人形などが目についた。このコーナーの呼びものはゾウゲ細工で、細かいすかし彫りの宝石箱、細密なつくりの「馬車に乗る王様」(高さ 65 センチメートル、幅 1 メートル 5×23 センチメートル)などが観客の足をとめた。
2 階に降りるとまず「冥想と啓蒙の国」の展示であった。仏陀の生涯や教え、仏教美術などの展示で、紀元前2 世紀ごろの作といわれる高さ 1メートルぐらいの石彫「カシャパバールフットの菩提樹」、1メートルぐらいの横に長い石の浮彫で 2 世紀ごろのものといわれる「仏舎利戦争」、ガンダーラ王朝時代のギリシア彫刻に似た表情の仏像など、静かな美と調和の雰囲気を醸し出し、宗教と芸術がいっしょになって生み出した仏教文化と芸術のすばらしさが鑑賞できた。とくに、ドームを持った寺院を中心に、その 4 角に塔を配した有名なタジ・マハールの大きな模型(4 メートル平方、高さ約 2 メートル 50)が、観客の目を見張らせた。タジ・マハールは 300 年前、シャー・ジャーン皇帝が愛妃アルジマンド・バノベグム妃の死を嘆き、22 年の歳月をかけて建設したものである。このほか仏陀の生涯を描いた絵も展示されていた。
続く「優雅と気品の国」には、ニューデリーの国立博物館にある「チャンバ・ルーム」の模型が展示されていた。この部屋の天井は実物の天井を撮影したカラー写真で作られ、周囲や外壁も、インドの優雅な生活を描いた古い細密画などの拡大写真で飾られていた。「音楽と舞踊の国」の展示では、生活に密着したインドの古典舞踊と音楽が、絵や楽器などによって紹介された。
1 階は、近代化された現代インドの集大成「科学と技術の時代にはいったインド」の展示であった。「教育と技術」 「平和と進歩のための原子力」 「工業のための鉱石」「原野を開拓する」「石油化学」「工業のための鉄鋼」「機械」「発展する電気技術」などのコーナーに分かれ、パネルや実物で新しい町づくり、ダムづくり、製鉄所、重工業、化学や繊維の工場など、産業と科学の開発に努力するインド国民の意欲が説明された。とくに原子力を利用した農業や医学の成果や、通信衛星などの展示は、歴史の古い国インドが新しい科学と技術の時代に入っていることを示した。東北側の特別展示室は、原子力と鉱物の展示であった。
館内中央の池には、観客が硬貨を投げ込み、その金額は約 112 万 4000 円にのぼったが、インド館は会期終了後、全額を大阪市の身体障害者センターなどに寄贈した。
外部の展示では、中庭にインドの航空機製造技術が生み出したジェット練習機がジュラルミンの機体を輝かせていた。また展示館の西側では、世界に 33 頭しかいないといわれる白いトラの 1 頭“ダリップ君”が観客の人気を集めていた。
管理棟の 2 階にあった「アショカ・レストラン」は80 席で、政府の直営であった。料理では、タンドーリというチキンの半身の丸焼き、チキン・カレー、チキン・マハニや、ナンというインドの焼きパン、ピープラオという豆ご飯などが好評であった。フルコース(サラダ、チキン・カレー、ポーク・カレー、ピープラオ)は 1,400 円であった。